アペラシォン獲得

時代を常に先読みしてきたシャトーヌフ・デュ・パップのワイン生産者達は、フランスワインの成功の秘訣ともいえるAOC(原産地呼称統制)のシステムの生みの親でもある。20世紀初めより彼らはワイン生産における今までにない厳しい決まりを制定したのである。

シャトーヌフ・デュ・パップの拡大し続ける名声を裏切らないよう、その名を守るべく、生産者達は現在のAOCのシステムを考慮する。1919年には区画制定がされるが、一般的過ぎると判断、自分達のワインをよりしっかり保護することを目的に、更に厳しい生産規定を設定した。1923年にはバロン・ルロワ・ドゥ・ボワゾマリエ -生産者であり法律の学問も修めていた-が所有するシャトー・フォルティアの元に代表団が集まり、この生産規定設定についての助言を仰いだ。このときバロン・ルロワは《 手伝うことには賛成だ。だが条件がある。あなた方自身が正直かつ規定に従うことの手本となりなさい》と話したと言う。

1923年10月4日、バロン・ルロワが会長となるシャトーヌフ・デュ・パップぶどう生産者組合の会合が開催された。ここで生産者達は自らに今までにない厳しい規定を課すことを決めた。その内容は、ぶどう栽培方法、最低アルコール度数(12.5C°)、使用可能なぶどう品種リスト、収穫したぶどうの選果作業の義務付けなどである。この規定例はしばらく後にはフランス国内の他のワイン生産地にも影響を与えることとなる。こうして彼らの働きかけは実を成し、1933年11月21日、公式にシャトーヌフ・デュ・パップのアペラシォン区域と生産条件が認定されたのである。幾つかの変更点を除いては、このとき制定された決まりは現在でも適用されており、シャトーヌフ・デュ・パップのワインを保護し、そのクオリティ保証にもなっている。

ぶどう畑の総面積は今日、シャトーヌフ・デュ・パップ村、ベダリッド、クルテゾン、オランジュとソルグ市に広がる3200ヘクタールとなる。