ガリック第2軍団の旧軍人たちがこの町を最初に作ったと言われている。紀元前35-30年前に彼らはアラウジオ( Arausio ) を結成する。そして時の流れとともに彼らはローマ時代の典型的な建造物であり、今日でも訪れることの出来る古代劇場や凱旋門を建設していった。1181年オランジュ伯爵領からオランジュ公国になったこの地域は、当時神聖ローマ帝国領であった。なぜならオランジュ公国はブルターニュ王国に属していたからである。17世紀、ルイ14世は、イギリスを支配していたオランジュのウィリアム3世に対しての戦いでたびたびこの地を占領した。最後に占領したのは1702年であったが、これを機に1713年にはユトレヒト条約締結となる。
遺跡
○古代劇場:古代ローマ時代を物語る稀に見る素晴らしい建造物である。ユネスコの世界遺産として登録されており、この古代劇場はヨーロッパでも最も保存状態が優れているものである。キリスト紀元初めに建立され、ステージの壁の保存状態などは目を見張るばかりである。ヴィトルヴクス曰くラテン様式劇場のすべてが盛り込まれている:半円形の階段席、側面からのアクセス、壁に防御されたステージなど。ガロ・ロマン人の公衆を受け入れ、文化やロマン語の普及の場として使用された。9000人もの観衆が喜劇悲劇、ダンスやアクロバット、大道芸などのスペクタクルを鑑賞した。今日でも夏にはオペラやコンサートなどが開催されている。
○凱旋門:オランジュの町の北側城壁から約70メートルのところにオランジュの凱旋門は建立された。3つもの出入り口がある頑丈な門で、その装飾はローマ人の最強の強さを象徴しているようだ。北と南に向いた門では独立戦争の頃のケルト人の武器の数々が壁に半円を描いてぶら下がっているように見える。東と西側の壁にはケルト人が鎖につながれている。石に刻まれた武器と捕虜は、当時のローマ人の強い支配力を常に思い出させる永遠の勲章とも見られる。
○ローマの城壁と墓地:ローマ時代の遺跡である扉の一つが現在の墓地で発見されている。
○シャぺル・サン・ルイ
○オランジュ公国の王子のシャトー(跡)。17世紀にルイ14世の命令で破壊された。