シャトーヌフ・デュ・パップの土壌を発見したのは、14世紀にアヴィニヨンにやってきた歴代法王たちである. ジョン22世の法治下、シャトーヌフ・デュ・パップの村は法王庁の夏の別荘となり、この土地で生産される高貴なネクターは《法王のワイン》として知られるようになった。このことはヨーロッパの宮廷の扉が開かれるきっかけとなった。
様々な点において先見の明があったシャトーヌフ・デュ・パップのワイン生産者達は18世紀の終わりには、ボトリングワインを販売するようになる。このことはシャトーヌフ・デュ・パップのワインの名声を更に高める新たな第一歩となった。
時代を常に先読みしてきたシャトーヌフ・デュ・パップのワイン生産者達は、フランスワインの成功の秘訣ともいえるAOC(原産地呼称統制)のシステムの生みの親でもある。20世紀初めより彼らはワイン生産における今までにない厳しい決まりを制定したのである。